明日公開します『動くセドリック』+テクスチャ無料配布

スポンサーリンク

最近、マヌカハニーを摂取しはじめた津島です。
蜂蜜って体にいいからね!

さて、ついに「VRoid」が完成しました!

 

人気記事

明日、セディが動きます!

Vtuberデビューする予定のセドリック・スウィーニー死刑囚。
炎上必至のデビューは避けられないでしょうが、生卵が飛んできてもそこはぐっとこらえて!

セディ「こらえてつかぁさい!」
カサイ「ええか。よう見とけ。こんな時に■■■覚えとかんといざという時役に立たんけえのお」
パァン!
パン!
パン!パン!(あっ♡)パン!パン!
エド「それ、違うくない?」

仁義なき戦い 広島死闘篇より

セディは最初、顔も描写されていない所からはじまって、キャラデザが決まって、声がついて、ついにね動きます。

生まれた時は首から下しかなかった男がバーチャルに存在することになると言うのは、面白いし不思議な感覚。

明日の何時になるかはちょっと未定ですが、動画をお楽しみに!

VRoidテクスチャ素材【無料配布】

ゴシックセーラーセットを無料配布します。
色変え、改変、加工OKで商用利用も可能です!
報告不要で使えます。
利用規約をよく読んでご使用ください。

30日映画チャレンジ

DAY16 (自分にとって思い入れのある映画)

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ

はじめてディスクを購入した映画です。
グラムロックが好きと言うことと、主人公が性転換手術に失敗してペニスが1インチ(2cm54mm)残ってしまったと言う設定に興味を持って観たのが最初。
楽曲にもってかれたのでディスクを購入しました。

話の中心は「元カレ(超有名アーティスト)に曲をパクられた私(極小バンド)が訴訟を起こし、元カレの全国ツアーを追いかけてその先々で売名する(正確にはちょっと違うけど)」といったもの。

元々は舞台でミュージカル公演されていたものを主人公をそのままスライドして映画化。
楽曲もロックだし、見た目も派手で、これぞグラムロックと言う綺羅びやかさと下品さがたまらない。
激しくシコシコしてあげるヘドウィグには笑った。

だけど決して明るい映画ではなく、ラストも賛否両論と分かれるものだと思います。

タイトルの「アングリーインチ」はヘドウィグが性転換手術に失敗して残ってしまったペニスのこと。ひぃ!おいたわしや。

ヘドウィグが性転換した理由を掘り下げると、それは国を脱出する為。
自由のない東ドイツ。
出会ったアメリカ軍人のシュガーダディと結婚すれば東ドイツから脱出できる。
ヘドウィグも軍人を好きになった(いい思いをさせてくれるから)ので性転換を望んではなかったけど、生きていく為に性転換手術を受ける。
本人の意思以上に母親が彼の性転換手術を望み、実行させたような気がします。

だからヘドウィグの深層心理の最後の抵抗が「アングリーインチ(1インチのペニス)」として残ったんじゃないかと。

その後、愛する少年トミーに出会うヘドウィグでしたが、アングリーインチがバレてしまい関係は消滅。

「私を愛してるのなら、私の股間も愛して」
初見ではヘドウィグを受け入れないトミーが情けない男に映ったけど、大人になって見返すとヘドウィグがイカれてることに気づく。トミーは10代の少年だからねぇ。
ヘドウィグのエゴを受け止められなくても無理はないし、ヘドウィグですら愛していない股間なのにそれをトミーに愛せと言う…これはエゴでしかないと思いました。

その後トミーは、ヘドウィグの楽曲をパクって超有名アーティストに成り上がります。
ヘドウィグは捨てられた上に魂を捧げた曲まで奪われて散々ですね。
それでもヘドウィグはトミーを愛してる。
魂の片割れと信じて疑わない。

この映画はプラトン哲学がベースにあって、愛の起源「魂の片割れ」がキーポイントとなっています。
そこもこの映画に惹かれた理由のひとつです。
私もいつしかプラトンの考えに染められた一人だったので。

最終的にヘドウィグは謝罪するトミーのまっすぐな歌に自分自身を見つめ直すわけです。
いつしかヘドウィグは「女性になろう」と「女性として見られよう」と頑張り、自分自身から遠のき他人になっていった。

ようは「好きになった男が女しか愛さない」から女性になりたい。
ありのままの自分の姿では愛してもらえないと思い、偽って生きてしまっていた。
それは果たしてロックなのか。

ヘドウィグはトミーの歌によって、ありのままの自分でいることが大事だと気づいたはず。
父親に性的虐待され、股間には醜いアングリーインチがあって、夫には捨てられ、トミーに裏切られてもそれが私なんだと。

最後は素っ裸になって夜の街を歩いていく。
この終わり方を当時は全く受け入れる事ができませんでした。
なぜ、魂の片割れを求めていたのに諦めたのか。
理解ができなかった。

でも、時を経て、人生経験も豊富になり、受け取り方も見え方も変わっていった。

愛する魂の片割れは他の誰かではなく、ヘドウィグ自分自身なんじゃないかと思いました。
ヘドウィグはトミーの歌を聞いたあと、それに気づいて自分を抱きしめにいく=どんな自分も自分だと受け入れる、という結末だったように思います。

それが完全になるということで、そこからようやく本当の意味で誰かを愛せるのだと思います。
自分自身を醜いと罵るひとを誰が愛せると言うのか。
そういうことですね。

そして改めて児童虐待の残す傷について考えさせられた。
LooseLipsシリーズのセドリックを作る上で影響を与えた映画でもあります。

タイトルとURLをコピーしました