『ファイナルファンタジーXV(FF15)』 感想 ※ネタバレ含みます

FF10ぶりのFFだったということもあり、久々に期待に胸を膨らませてゲームをプレイしました。
FF15とFF10。どこか似ていて非なる作品。2つの作品を比較しながら感想(レビュー)を語っていこうと思います。

ゲーム内容

舞台

FF10は古代を思い起こさせるような自然と調和した世界(スピラ)です。機械を使うことが良くない事とされ、人々はあえて不便な暮らしを選び生活しています。

FF15では、現代の日本や世界中の国々を感じさせるような私達の住む地球とそうかけ離れてはいない世界が舞台です。主人公たちはスマホゲーで遊んだり、写真を撮ったり、車に乗ったりと特に私達と変わらない生活を送ってます。ですが、主人公やシガイと呼ばれる魔物などは魔法を使い、また神を召喚し戦います。

ゲームシステム

ここから少し比較せずに書きます。

主人公は武器を持ち替え様々な戦法で戦えます。
ジョブなどはなく、好きな武器を使用し、オープンワールドの世界を探索しながら狩りを行うことで経験値が増える、というもの。

仲間はそれぞれが装備できる武器の種類が決まっており、一人二種類の武器を扱い、ほぼオートで戦闘に参加します。しかし、仲間との連携技を育てることもできるので、自分好みの戦闘カラーに仕上げる事が出来ます。
例えば、イグニスは回復役に回し、グラディオはカバー役、プロンプトはザコ戦闘役等。

経験値は貯金方式で、どこかで寝泊まりする事によって初めて主人公達の身になります。それを上手に利用して簡単にレベル上げが出来ます。ホテルで止まると経験値を1.5倍になったりするので、たくさん貯めてから宿泊するのも一つの手です。

その他はボス戦等は今流行りなのか、コマンド入力式で戦います。P5でもそうだったのですが、自分で倒した手応えは半減。ゲームが苦手な人は嬉しいのかもしれませんがね。

リヴァイアサン戦に関しては、と言うか基本的に六神との戦闘は訳がわからない内に終了していました。

このFF15のバトルは特にシフトブレイクが決まった時やパリィの決まった時の爽快感が強いです。魔法も初めは使いづらい(仲間もダメージ食らうので)と思ったのですが、強力なので自分で色々配合を変えながら使っていました。

ただ、王の剣はほとんど使わずに終わった。もう少し特色を出して欲しかった。正直、取りに行くメリットを感じなかった。

それと召喚獣の出現する条件が分からない。それだけは「来てくれたらラッキー」くらいに思ってプレイしてました。でも、FF10のようにイマイチ使い所が分からない召喚獣よりはいいと思います。

チャプター13はレベルが50以上、7万ギル持ちだったので、特に戦闘では苦戦しませんでした。でも、あっちこっち歩かされたので単調に感じた。

マップ

景色は最高。壮大な大自然と星空の下でキャンプ、釣り、それは楽しかったです。12キロの魚を釣りました。

しかし、暗く狭いダンジョンは酔った。私は目が悪いのであまりに暗いと何にも見えない状態でなかなか苦戦しました。無駄な脅かしや暗さは一切怖くなく、ただストレスを溜める結果に。

フィールドでは探しものクエストが多く、ぐるぐる似たような地面を追い回しやはり酔いました。

モンスターの遭遇率の低さ。笛をもらってからもなかなか出てこない。もう少しモンスターが集まってくると思ってたんですけどね。

車での移動や車をペイント出来るのは面白かったです。車が好きなので広い大地をドライブしているような気分で駆け巡る事が出来た事は楽しかった。空を飛べるようになってからは、ただ空を飛ぶだけで目的地には残念ながら到着出来ない…頑張っても墜落し、ゲームオーバーになるんで。

さて、ここからはストーリーにも触れていこうと思います。

ストーリー

父親の存在

FF10の発売は今から10年以上前。
FF10も父親と主人公という主軸になるテーマがあり、越えられない背中を越えていく事(シンの討伐)で物語が完結する、という構成になっていました。

父親は偉大で、絶対に勝てない存在。一方、母親はいつまでも寄り添ってくれる存在。これらは普遍的なもので、物語にはよくある話です。また父親は外へ働きに出て、家庭には不在。2001年とは言え、女性が家庭を守り、男性が働きに出る。そんな時代でした。

今回のFF15は飽くまでも父親は主人公を守る存在であり、いつまでも偉大で、最後の最後まで主人公にレガリアという車として寄り添っています。

昨今、イクメンや専業主夫などという言葉も耳につき、子供に対する父親の関わり方が大きく変わってきました。そう言った意味でも新しい、非常に現代的なファンタジーだったと思います。

そして主人公はいつまでも与えられ・守られる存在であり、自分から手に取ろうとしない所が、アーデンの言う借り物だったように思います。

己が望んで掴むまで力は身に宿らないと言うことなのでしょう。なので、最後のノクトは自ら決意し、望んだ事で人々に確かな光を届ける事が出来たのです。

父を思い、父に涙する主人公と言うのは、我々世代からすればどこか奇妙さと可笑しさが混在し、軟弱なんて言葉も出てきてしまいそうなところです。

しかし、母親不在と言う家庭が前提となると話は違ってきます。唯一の肉親と言う意味では、レギス国王とノクトの関係は母性と子だったのではないでしょうか?

またFF10と似ている点では、どちらも主人公の父親が同じように旅をしていた事。

仲間

FF10では異国の地へ飛ばされた主人公が不思議な縁で導かれるように仲間たちと合流し、スピラで恋をし、そして世界を変えるストーリーです。

ヒロインであるユウナをはじめ、ガードの仲間と旅をし、その仲間達の抱える問題や隠れていた顔を知り、そして絆が深まっていきます。それと同時に旅の真の目的も明らかになって行きます。

一方、FF15では初めから仲間は親友や側近であり、竹馬の友です。絆は既に堅いものであることが物語初めから描かれています。仲間との深まる絆を見ると言うよりは、この4人がどういった人物であるのかを旅を通してプレイヤーは知ることとなります。

また、ヒロインがパーティーに不在であり、そのヒロインに会いに行くこと(自分とヒロインの結婚式)が旅の目的です。非常に分かりやすい目標が掲げられて旅がスタートします。

何をしたらいいか分からない」と言う最近のゲームプレイヤーとって、とても親切な設計に作られています。

と言うふうに導入が明確で分かりやすいので、物語がスムーズに入ってきます。特に難しい用語や覚えておかなくてはいけない事もないので、サブクエストに思う存分力を注ぐことが出来ました。

キャラクターを気に入った人には面白さを感じる部分だと思いますが、特にシンボルとしてしかキャラクターを見ない人にすると「くどさ・うざさ・薄ら寒さ」を感じるように思います。

FF10での倒すべき敵はシンと呼ばれる魔物でした。それを倒す旅が主人公たちの目的。そして、旅の終わりです。またヒロインの死がそこに待っていることを知らずに主人公は旅に出ます。その運命にもがいてあらがって、主人公はヒロインの命を救う事が出来ました。

最後は主人公の消息がわからなくなりますが、主人公の救いたかったヒロインを救うことができ、スピラに平和がもたらされ、ハッピーエンドで終わります。皆が幸せになった姿を見ることが出来るのは、私にとってはストーリーにカタルシスを感じる大きなポイントです。主人公=自分自身、が抜け切らないので「俺は無駄死にしなかったんだ」と思いたいと言う所があります。

FF15はニフルハイム帝国が主人公の治める国・レシス王国を襲撃し、主人公たちはニフルハイム帝国と戦います。確か冒頭の方でニフルハイム帝国の国王、以下将軍、准将等が映し出されるシーンがあるのですが、国王はモウロクジジイで全くまとまりがない。帝国は既に内側から崩壊している様が見て取れます。そもそも将軍の男はヒロインの兄(ニフルハイム帝国外の人間)で、どういった経緯でニフルハイム帝国の将軍にまで上り詰めたのか、背景が分かりません。

大ボスで言えば、アーデンと言うニフルハイム帝国の宰相が最終的に倒すべき敵。ですが正体はルシスから追放され、闇に葬られた王族の人間。ノクトの先祖のようです。その時の恨みをルシス王家を根絶やしにする事で復讐を果たそうと目論んでいるようです。その為なのか、復讐を身に宿しシガイ(魔物)化していました。

しかし、残念ながら何故ノクトを目の敵にしているのかと言う、執着する理由が分からなかったのでFF10のシーモアの方が倒したいと強く思えました。この辺りが端折りすぎて、一番曖昧で意味が分からなかった。

メインクエスト

本筋のストーリーについて言いたいこと・気になることを言いっぱなしで語ろうと思います。

ノクティス王子(ノクト)と楽しい仲間たちの思い出づくりの旅から物語はスタート。男四人で車に乗り込み、ノクトの花嫁の元まで向かう事が当初の目的です。

ですが、この物語は「王子様とお姫様が幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」というメルヘン路線のファンタジーではありません。飽くまでもメインとなるのは、この四人の男たちがどんな終わりを迎えたのかを見届ける物語。もっと分かりやすく一言で言うなら…

男四人の人間関係を見せつけられる物語

そうです。四人以外は脇役であり、四人以外はどうでも良いのがFF15と言うゲーム。どうでも良いと言えば聞こえが悪いでしょうが、集中的にスポットを当てたと言えばいいでしょうか?そんな物語です。

因みに男四人で旅をしても、あんなふうにはなりません。「好き」とかね、どんなに死にそうな状況でも言いません。「ありがとう」くらいなら言うと思いますが。そういった意味ではすごくファンタジーです。

真の王の力?急に出てきて追いつけませんでした。

そもそもどうしてレギス国王やその前の国王は、真の王の力を得られなかったのか。その辺りが読み取れませんでした。

あと気になった点としては、悲劇を書こうと思ったのか、唐突なニュー・シネマ・パラダイスごっことか、列車でのウィンターソルジャーごっことか。分かる人には分かると思いますが、イグニスの失明の意味、プロンプトが誘拐される意味。キャラクターへの思い入れなどが無い人にすれば、入れる必要のなかった流れだったのではないでしょうか?

よく昔から映画制作に携われなかった人がゲーム制作をするなんて言いますが、今までのFFに既存の曲って使われた事ありましたか?スタンド・バイ・ミーはやめろよ!と、以前、体験版の記事でも書きましたが、あの曲はあの映画だから意味があって……これ書くと長くなりそうなんで最後に回します。

とにかく、あまりにも四人の人間関係にスポットが当たりすぎて、他がほの暗くボンヤリと曖昧な印象。その癖、ラストではノクトは命と引き換えに世界に光をもたらすと言う大それた神業をやってのけます。

楽しかった旅とその終わりと言う点ではFF10も同じです。そして主人公が元の世界で生きることが出来ないことも同じ。ですが、受け取った感情は大きく違いました。

FF10では清々しい、そしてほんのり切なさが残ったのに対して、FF15ではキャンプシーンを見終わったあと「意味わからん!」の言葉と「主人公、泣きすぎ」のただただ戸惑いだけが残りました。あのキャンプシーンはシドの言葉の伏線回収ですよね?レギス国王は「つれーわ」って言えなかったので、ノクトは仲間にしっかり言えていたと言う付け足し回想。なんだよこれ、どんな顔して聞いてれば良いんだよバカと思ったとか思わなかったとか。

ですが、そのあと遠いどこかの世界でノクトとルーナが幸せにキスをして眠りについたのを見届ける事が出来てようやくしっくりと来ました。

「夜には月が寄り添い、そして登った月は必ず夜を引き連れて落ちていく。世界には朝という光が訪れるのです」

そんな神話として語り継がれていくのかもしれませんね。

仲間もあの後すぐに亡くなったのかは分かりませんが(クリスタルの中は時間の流れが普通と違うので)いつかは亡くなったと思います。その仲間たちや父、そしてルーナなどたくさんの人がノクスの力となり、アーデンを永久に滅ぼしたのでしょうか。もしかすると、すぐに世界に光が満ちたわけではないのかもしれない。あの光が戻った世界は何十年も何百年も後の世界なのかもしれない。そんなふうに思いました。

決して悲しいバッドエンドだと言うふうには捉えませんでした。むしろ人間なんていずれ死ぬ生き物ですから、短くも死ぬまでの時間を楽しく過ごせたのであればそれで良いのだと思います。しかも、愛するひとと結ばれて眠りに就けるのなら、むしろハッピーエンドだと受け取りました。長く生きていても楽しい時間もなく、思い出もなく、愛するひとと結ばれる事のない人生よりは良いんじゃないでしょうか?

その他

スキルについて

プロンプトの写真は旅に彩りを添えてくれました。私自身、写真が趣味なので見ていて楽しかったのと、学生時代を思い出しました。

イグニスの料理はあまり食べる機会がないまま、チャプター10に突っ込んだので、もう少し色々とバフ効果をつけてみたかった。

グラディオはアイテム拾ってくれたお陰でほとんど買わずに済んだ。魔のチャプター13もお陰で余力あった。

バグについて

あまりにも多くてロードしなおしや、オートセーブからやり直しなど本当に参った。視覚的に面白いバグもあったが、また戦闘をやり直しなんかは笑えない。

BGMも突然消えたり、マーカーが出てこなかったりと頻繁にあった。普段、フリーゲームを趣味で作っていますが、より一層バグに気をつけようと思えました。

スタンド・バイ・ミーについて

だからね、この曲は12歳と言う「子供の終わり」の時期だからこそ、意味のあるものになったんですよ。女の味も、酒の味も、金の味も本当の意味ではまだ何も知らない12歳。

たまたま同じ学校で、同じ地域に住んでいた友人。なんとなくノリで集まって、悪いことを共有している。それが「死体」と言うリアリティーのない現実に初めて触れて、そこを境に大人へ向かい四人がバラバラになる話です。

大人になると同じレッテルが貼られた者同士しか付き合わなくなりますよね。金持ちは金持ちと、そうじゃない人はそうじゃない人たちと。でもね、子供の頃は違うんですよ。頭の悪いも良いも、デブもガリも、男前も不細工も、みんな関係なく遊ぶんです。親が言う「XX君と遊んじゃいけません!」そんなのもお構いなしに遊ぶものです。

でも大人へなるにつれて付き合う友達が変わり、恋人ができ、12歳の頃に遊んだメンバーとは疎遠になる。そうして気づけば歳をとり、家庭を持っていたりする。そんな時、ふと旧友の近況を知るのです。それも訃報と言う形で。

その時、胸に少し切なさが過ります。あの頃はもう遠い昔になってしまったと思い出すんです。でも、長い年月が悲しみのクッションとなり、ほのかにノスタルジックな気持ちを引き出させるだけに留まる。それが反対に寂しさを誘います。でも、涙は絶対に流さないんです。これは絶対です。涙は流さない。何故なら、あの時の言葉があるから。君たちがくれた思い出があるから。

FF15は主人公が泣くシーンが多すぎる。それに彼らは大人だ。だから、この曲は使ってほしくなかった。スタンド・バイ・ミーのいちファンはそう思いました。

でも、これが単純にノクトとルーナのラブソングならありだと思います。きっと幼少期の回想が多かったのでそっちでしょうね。それなら最後のエンドロールは、ノクトとルーナの思い出写真にするべきでしたね。

感想

色々書いていますが、今のところ今年プレイしたゲームでは一番おもしろかったです。逆転裁判6も面白かったですが、ベクトルが違うので、RPGでは一番面白かったと言っておきます。
メインクエストは賛否あると思いますが、モンハン的に楽しみたい人にはおすすめします!

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