Loose Lips(SIDE:rainy day)を作った理由
突然ですが、Loose Lips(SIDE:rainy day)と言うゲームについて。
このゲームはLIKEMAD_GAMESが2019年にリリースしたポイントクリックADVです。マルチエンディングで、今年6月まで無料で公開しています。
Loose Lipsシリーズの1作目。
様々なことを意識して、明確に伝えたいこと、表現したいこと、目的をもって制作したゲームです。
このゲームを制作した理由と言うものは一つではありません。
表現への挑戦や個人として訴えたい思い、影響を受けた作品へのアンサーなど。
その中の一つについて書いてみようと思います。
舞台は1994年の架空の都市・ウルティモア
シリーズ1作目はウルティモアと言う田舎が舞台。
時代は1994年。
なぜ90年代なのか?
もっと言えば、どうして94年なのか?
94年を描こうと決めたことにはもちろん理由がある。
以下、『【Loose Lipsシリーズ】ゲーム3本セット』『【Loose Lipsシリーズ】ゲーム2本セット』の購入特典から一部抜粋。
舞台は94年。なぜ94年なのか。それは翌年が95年だから。
当たり前のことを言っているようですが、実はこの95年は絶対に忘れてはならない事件・災害が起こった年です。ゲーム内でもそこだけはノンフィクションです。大震災と地下鉄テロ。まさか我が国で起こるとは、起こったとは信じられない出来事です。それを忘れて欲しくない、または新たな世代に知ってもらいたいと思い舞台を94年にしました。
(抜粋:: LIKEMAD_GAMES “Loose Lips【設定集】” Apple Books)
94年を舞台にした理由は、翌年が1995年だったから。
我が国、日本国において大きな転換を迎える時代だったと言える。
その根拠の一つが、今から28年前の今日に起きた阪神淡路大震災。
そして、もう一つが同年3月20日に発生した地下鉄サリン事件だ。
理由①阪神淡路大震災
当時、その被害は戦後最大規模の大地震と言われ、日本のインフラ整備を急速に発展させた。
神戸に初めて降り立った時、復興から20年以上が経過し、少しも大震災の傷跡を感じることはなかった。それは復興と言う面から見ると喜ばしいことである一方、人々の記憶や心には決して消えない傷が残っていることを知り、美しい神戸の町並みを眺めながら後世に伝えることについてぼんやりと考えていた。
教科書で「大震災があった」と写真を見て、動画を見て感じることと、実際に街へ行き、人々から話を聞き、今の思いや抱える傷やこれからについて考え触れることには大きな大きな差があり、机の上だけでは感じることのできないものが確かに存在した。
阪神淡路大震災についてゲームで何かできないかと考えた時、引っかかったのが「私が大震災を経験したわけではない」と言うこと。
どれだけ触れたと言っても私の経験ではない以上、作ったものは所詮フィクションでしかない。
しかし、私には代弁することはできないにしても、1995年に大きな地震があったと伝えることはできる。ゲームで覚えたことが案外何十年も忘れずに残っていたりしないだろうか。
このような思いもあり、敢えて94年を舞台に作り、エンディングの一つに翌年95年に起きたことについて言及した。
理由②地下鉄サリン事件
こんなに恐ろしいテロ事件が我が国に起きたことは、平和ボケしている私には大きな衝撃だった。14人が死亡し、6000人以上が被害を受けた。
もちろんこれも教科書で学び、事件があったことは知っていた。
しかし、それがどれくらい恐ろしいことであったのかは、大人になり実感することとなる。
震災と違う点は、人の悪意によってその被害がもたらされたと言うこと。
個人的な恨みもなにもない。ただテロを起こす目的だけで車両が選ばれ、サリンが撒かれた。その結果、なんの落ち度もなく普通に暮らしている民衆が被害を受けた。この理不尽さは筆舌に尽くしがたい。
国家転覆を狙う組織なんてものは、フィクションの中の出来事だと思っていた。
でも事実は違った。
こちらも重大な出来事だと思い、震災同様言及した。
社会に生きる一人の人間という自覚
以上のことが『舞台を94年に選んだ理由』です。
何かを思えだとか、何か考えろだとか。そういうことじゃなくて誰かがゲームでなんか言ってたなとプレイヤーが覚えていてくれて、なんなら自分で調べようと思ってくれたらいいよなぁ…それくらいの思いです。
そもそもが重いテーマを扱ったゲームです。
社会派と呼ばれるゲームシリーズだと自分では思っています。私自身が社会と言うものに対して感心が高く、年々社会に生きる一人の人間である責務や自覚を感じています。
社会性と言うものについて考えた時にどれくらい自分はいち大人として関われているのだろうかと考えることがあります。特に子どもたちとの関わりが増えれば増える程、自分が後世にしてあげられることを考える。
個を重視する時代だからこそ、社会にもっと目を向けたいと常々思っています。
また1995年はネット社会においてもインターネット黎明期とも言える時代で、人類の歴史から見ても重要な転換期だったと思います。
時代が変わると言うことは人の価値観が変わると言うことで、昨日まで「チーズ牛丼」を何も気にせず食べていたのに、今日からは「チー牛」と蔑称をもちいて食べなくなる。価値観の変化ですよね。
それが根づけば文化と呼ばれ、人そのものが変わる。
時代とはそういうものなんだと思います。
だから90年代、今とは違った価値観や人が生きていて生活があった。
スマホもPCもまだまだ発展途上の時代で、それを取り巻く人々の習慣も今とは違うものだった。単純に興味深い。
Loose Lipsシリーズは90年代のそういった時代を描いています。
95年を生き抜いて来た方々にとって、時代考察として的外れなところもあるかもしれません。特に日本が舞台でもないのでズレはあると思います。更に言ってしまえば、全てフィクションです。しかし、制作者の考えや裏側があったことは紛れもない事実なのです。
Loose Lipsシリーズ・最新作、制作中
クラウドファンディングにて続編の制作が決定した最新作!
2024年の配信へ向けて制作中。